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鹿児島地方裁判所 昭和36年(わ)166号 判決 1961年8月03日

被告人 勝又幸俊

昭九・一・一二生 会社員

主文

被告人を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

押収してある約束手形七通(証第一号ないし第七号)の各虚偽記入部分を没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三二年八月頃から昭和三五年二月頃まで名瀬市伊津部二、〇六〇番地所在の大島アポロ石油株式会社(代表取締役大河内清栄)の常務取締役をしていた者であるが、同会社は、昭和三三年一一月株式会社旭相互銀行(代表取締役三輪嘉雄)と一〇〇万円(後に一五〇万円)を限度とする手形貸付契約を締結し、これに基づいて大島アポロ石油株式会社代表取締役大河内清栄振出、大河内清栄、勝久武世ら保証に係る同銀行大島支店あての約束手形を作成して同支店(支店長鉾之原正夫)に差し入れ、その都度手形額面金額相当の貸付を受けていたところ、会社設立当初からの代表取締役大河内清栄との株式の配分、経営上の意見の対立などを原因とする紛争が激化した結果、被告人は、右大河内に無断でいわゆる手形の切換などをしようと企て、別表記載の各犯行日頃にいずれも前記会社事務所において、各行使の目的をもつて、ほしいままに別表記載の各前記会社振出、前記銀行あての各約束手形の保証人欄に大河内清栄の氏名を各冒書し、その名下に大河内清栄と刻んだ有合せ印(証第一二号)を各冒捺し、もつて各有価証券(証第一号ないし第七号)に各虚偽の記入をしたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び弁護人の各主張に対する判断)

被告人は、本件各所為は、判示大島アポロ石油株式会社(以下会社と略称。)の常務取締役であつた同人が取締役会の決議に基づいて判示株式会社旭相互銀行(以下銀行と略称。)から手形貸付を受けるためにした正当の業務行為であるから違法性を阻却し、また、本件当時、従来銀行との手形取引について保証していた大河内清栄が正当の理由がないのに保証することを拒んでおり、この保証がなくては、会社が銀行からの融資を断たれるとともに債権の実行に出られるのみならず、他からの融資の目当てもないため、会社は、倒産の危機に直面するばかりでなく、従業員らの生活も脅威にさらされることになるので、本件各所為に出ないことを期待することができなかつたものであるから、責任性を阻却すると主張する。また、弁護人は、大河内清栄の右保証拒否によつて、会社が倒産の危険に直面していたから、これを避けるため、被告人は、やむを得ずに本件各所為に出たもので、法益の権衡もとれているから、緊急避難というべきで、違法性を阻却すると主張する。期待不可能性存在の主張については、単なる犯意の否認にすぎないとする見解もあるが、当裁判所は、これを責任性阻却事由の主張と解するので、証拠を総合の上、つぎに、順次これらに対する判断を示す。

一、正当の業務行為であるとの主張について

昭和三三年一〇月一五日右会社取締役会において、会社が銀行から限度一五〇万円の借入れをする決議がなされ、これに基づいて昭和三三年一一月両者間に大河内清栄らが支払保証をする手形貸付契約(限度一〇〇万円、昭和三四年三月中旬頃から一五〇万円に拡大)が締結され、昭和三三年一一月頃から会社振出の大河内清栄ら保証の約束手形は、当時代表取締役であつた同人がその直接保管する印鑑届のしてあるアポロ石油株式会社社長之印及び大河内と各刻んだ各丸印をみずから当該箇所に押捺などすることによつて振り出されていたことが認められる。そして昭和三三年一一月当時、大河内清栄は、視力が甚だ衰えていたので交通事故防止と顧客に対する欠礼回避などの顧慮からと称して、おおむね同人の自宅にあつて書類の決済などをしていたため、被告人は、日常の業務処理上不便を感じていたことも明らかである。

ところが被告人は、昭和三四年三月頃から大河内清栄に対し、会社業務の状況報告を怠り、銀行からの融資を続けて受けるための切換手形などについて、その振出人及び保証人大河内清栄の各名下に、同人の了解を得ないでほしいままに証第一一号及び第一二号の有合せ印を押捺し、証第一号ないし第七号の各手形を銀行に差し入れていたことが認められる(この点に関する被告人の供述及び勝久武世の証言は、大河内清栄、鉾之原正夫山下一三の各証言に照らして信用できないものである。)。押収してある取締役会議録(証第一四号に編綴)の記載及び前記決議の後においても大河内清栄が前記実印二個を直接保管し続け、みずから銀行あての約束手形の当該箇所に押印していた事実とに照らすと、右手形の振出を被告人の権限に属させなかつたとも解されるが、右決議では一定限度内の手形取引などを定めているから、その範囲内で適時切換手形を振り出すことは、当時常務取締役であつた被告人の権限に属するものと解される余地がある。そして金融機関と株式会社などの間に行なわれる手形貸付においては、代表取締役個人の資産の有無にかかわらず、代表取締役は、個人の資格で支払保証をするのが通例であろう。しかしながら、これは、そうしなければならないものではない。代表取締役個人が保証を肯んじないときに、これに代わる他人が保証することは何ら妨げられないのみならずその保証は、保証人の自由な意思に基づいてなされるべきであつて、その拒否を理由に、他人が、たとえその者が取締役であろうとも、勝手に保証人の氏名、印を冒用することは許されない。なぜなら、これは、他の取締役の権限に全く属しないからである。本件においても被告人の判示所為を会社の常務取締役の権限に属するものと認めるわけにはいかない。また被告人の本件所為を社会的相当性があると認めることもできない。したがつて被告人の本件所為が正当の業務行為であるとする主張は、採用することができない。

二、期待不可能性が存在したとの主張について

当裁判所は、一九三二年一一月一一日ドイツ大審院が示した「ここに期待可能性の概念を用いたからとしても、法律上規定された諸場合を超えた超法規的責任阻却事由としての期待不可能性を認めたものではない。当部は、むしろ責任阻却事由の規定の沿革にかんがみ、現行法上、故意犯については法律上規定された場合以外の責任阻却事由は、行為者に対して認めることができないとする見解をとる。」旨の考え方(Entscheidungen des Reichsgerichts Bd. 66. S. 399)に賛成するものではない。もとより「期待不可能性は、故意に関しては、立法者だけが考慮できるもので、裁判官が法規を超え、またはこれに反して考慮すべきではない。」という見解(Kohlrausch-Lange, Strajgesitzbueh 1958. S. 177)は、採用すべきものではないと考える。なぜなら、立法の不備を合理的に補正して、正義に合致するように具体法を創定するのは、司法の優位に由来する裁判官の特権であるとともに責務でもあるからである。けれども、期待不可能性については、刑法第三五条のように、責任性阻却に関する一般条項がないのであり、責任性は、違法性のように純粋に客観的なものではなく、多分に主観的要素を加味して判断されざるをえないものであるから、極めて慎重にその存否を決しなければならないと思われる。緊急避難の成立するときは、期待不可能性の存在もまた認められるのであるから、明文をもつて期待不可能性の存在する場合につき規定した盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条第二項は別として、刑法第三七条第一項本文の要件に比して、これよりも緩やかな要件で、超法規的にその存在をたやすく認めるべきではない。期待不可能性を超法規的責任阻却事由と解するばかりでなく、軽々にその存在を認めることは、法の支配に対する危険を招くおそれがある。それは、例えば、自己又は他人の生命、身体などに危険が切迫し、恐怖、驚愕、興奮、狼狽によつてこれを避けるためには構成要件に該当する違法な行為に出る以外に方法がなかつたと認められる場合(特殊な過剰避難)とか、食物を求めることの極度に困難な場所で極度に飢えて死の迫るのを避けるために、他の飢えた者に対して緊急避難行為に出たのに対し、相手方が自己を守るため、右攻撃してきた者を反撃殺傷する場合(緊急避難に対する特殊の防衛行為)など、実定法の規定に照らしつつ制限的に認められるべきである。

ところで、本件における具体的事情について考察すると、前記のように、本件当時、大河内清栄が正当の理由がなく判示手形の保証を拒否したと認めることはできず、かえつて被告人が大河内清栄に対する感情などの対立から同人を無視して、勝手に会社の営業を切り廻していたと認められるのみならず、当時会社が倒産寸前の状態にあつたわけではなくて、むしろ当時会社に対する融資事務を直接担当していた銀行大島支店長鉾之原正夫や同店貸付係山下一三らは、同社を発展性のある有望な会社と評価しており、万一大河内清栄が保証しないことになつても融資を続けてゆくつもりでいたことが認められ、さらに証第一五号の二の大河内清栄の勝久武世に対する五五〇株の株式譲渡証(年月日白地)が昭和三二年六月頃同人に大河内清栄から渡されているので、株券発行前であるとはいえ、大河内清栄と対立していた被告人側の持株は、会社設立後相当期間を経過した本件当時には、いつでも右株式の譲渡をもつて会社に対抗でき、過半数を超えうる状態にあつたのであるから、適法な手続により大河内清栄を解任し、適当な経営者を加えることにより、銀行からの融資を続けうる事態にあつたことも認められる。したがつて、本件当時会社に現在の危難があるとはいえず、とるべき唯一の手段が本件所為であつたとも認められないから、被告人が本件犯行に出ないで適法行為の決意をすることが不可能であつたという主張の前提事実を欠くというべきである。よつて、被告人のこの主張もまた採用の限りではない。

三、緊急避難であるとの主張について

すでに判示したように、本件当時、大河内清栄が前記保証を拒否したと認めることはできず、会社に現在の危難があつたとは認められないのであるから、緊急避難の前提事実を欠くというべく、この主張も採用に由ないものである。

(法律の適用)

法律に照らすと、被告人の判示各所為は、各刑法第一六二条第二項に該当するところ、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により犯情の最も重い判示別表5の罪の刑に併合罪加重をした刑期範囲内で、被告人を主文第一項の刑に処し、刑の執行猶予につき同法第二五条第一項を、押収してある有価証券の各虚偽記入部分(証第一号ないし第七号)の各没収につき各同法第一九条第一項第三号、第二項本文を、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を各適用して、主文第二項ないし第四項のとおり定める。

(量刑の事情)

本件犯行は、反覆累行されており、被告人には、その他起訴されていない犯罪の疑いが認められ、不正が発見されてからは、判示会社は、判示銀行から反動的に悪評価され、衰退の一途をたどつたもので、被告人の責任は、決して軽いものではない。しかし、一面同会社代表取締役であつた大河内清栄が経営の最高責任者として、若干適格を欠き、経営者間に不必要な摩擦を生じさせる因を作つたこと、被告人は、それまで会社経営者の一員としてかなり努力してきたこと、本件を自己の利を図る目的でしたものではないこと、年若く、社会的経験が極めて未熟であつたこと、前科のないこと、現在生業に就いて落ち着いていること等の諸事情も充分考慮されなければならない。当裁判所は、これら一切の事情を考慮し、主文の処分を定めたのである。被告人は、国立大学を出たからということに自己陶酔せずに、社会的にはいまだ一年生にすぎないことを自覚し、さらに智識をみがき、すぐれた経験を重ねるように努力しなければならない。ことに、被告人に終始改悛の情が認められなかつたのは甚だ遺憾である。今後は、謙虚な生活態度を続けるように、とくに切望する。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 櫛淵理)

(別表略)

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